SSIの基盤:DID MethodとDID Resolverによる分散型識別子の解決と実装
はじめに
自己主権型アイデンティティ(SSI)の概念は、個人が自身のデジタルアイデンティティとデータを完全に制御できるようにすることを目指しています。このビジョンを実現する上で不可欠な技術的基盤の一つが、分散型識別子(DID)です。DIDは、中央集権的な機関に依存せず、グローバルに一意で、永続的かつ暗号学的に検証可能な識別子を個人、組織、デバイスなどに提供します。
本記事では、DIDエコシステムの核心をなす「DID Method」と「DID Resolver」に焦点を当て、その技術的なメカニズム、多様な実装アプローチ、そして開発者が考慮すべき事項について深く掘り下げて解説します。これらの要素を理解することは、SSIソリューションの設計や開発において極めて重要となります。
DIDの基本構造と構文
DIDは、その仕様(W3C Decentralized Identifiers (DIDs) v1.0)において、以下の汎用的な構文で定義されています。
did:method-name:method-specific-identifier
did
: これはDIDであることを示すスキーム識別子です。method-name
: 特定のDID Methodを指定します。これにより、そのDIDの生成、解決、更新、失効といったライフサイクル管理がどのように行われるかが決定されます。method-specific-identifier
: 各DID Methodによって定義される、具体的な識別子の部分です。これはハッシュ値、公開鍵、ネットワークアドレスなど、様々な形式を取り得ます。
DIDに対応する情報は「DID Document」として表現されます。DID Documentは、DIDの所有者に関連付けられた公開鍵、認証方法、サービスエンドポイントなどのメタデータを含むJSON-LD形式のドキュメントです。
以下にDID Documentの基本的な構造例を示します。
{
"@context": [
"https://www.w3.org/ns/did/v1",
"https://w3id.org/security/suites/ed25519-2020/v1"
],
"id": "did:example:123456789abcdefghi",
"verificationMethod": [
{
"id": "did:example:123456789abcdefghi#keys-1",
"type": "Ed25519VerificationKey2020",
"controller": "did:example:123456789abcdefghi",
"publicKeyMultibase": "zH3C2AVvVzXzXzXzXzXzXzXzXzXzXzXzXzXzXzXzXz"
}
],
"authentication": [
"did:example:123456789abcdefghi#keys-1"
],
"assertionMethod": [
"did:example:123456789abcdefghi#keys-1"
],
"service": [
{
"id": "did:example:123456789abcdefghi#agent-service",
"type": "AgentService",
"serviceEndpoint": "https://example.com/agent/123456789abcdefghi"
}
]
}
このドキュメントは、DIDの所有者の公開鍵情報や、セキュアな通信のためのサービスエンドポイントなどを含んでいます。
DID Methodの概念と種類
DID Methodは、特定の分散型台帳技術(DLT)、ブロックチェーン、またはその他の分散型データストア上でDIDとそのDID Documentの生成、解決、更新、失効のメカニズムを定義する一連の規則です。DID Methodは、その基盤となる分散システムの特性を反映しており、それぞれ異なるセキュリティ、プライバシー、パフォーマンスのトレードオフを持ちます。
主要なDID Methodには以下のようなものがあります。
did:web
: 特定のウェブサーバーをDID Documentのホスティングに利用します。シンプルな実装で、既存のウェブインフラを活用できますが、中央集権的な単一障害点のリスクがあります。did:key
: DID自体に公開鍵情報を含めることで、分散型台帳を必要とせずにDID Documentを自己完結的に生成します。主に一時的なDIDやオフラインでの利用に適しています。did:ion
: Bitcoinブロックチェーンを基盤とするSidetreeプロトコルを利用します。高度な分散性と不変性を提供しますが、ビットコインのトランザクションコストや処理速度に影響を受けます。did:ethr
: Ethereumブロックチェーンを利用します。スマートコントラクトを通じてDIDとDID Documentのライフサイクルを管理し、イーサリアムの強力なネットワークを活用します。did:peer
: P2Pネットワーク上でDID Documentを直接交換・発見する方式です。特定の中央エンティティや台帳に依存せず、プライバシーを重視した通信に適しています。
これらのMethodは、それぞれ異なる分散型の原則、スケーラビリティ、セキュリティモデルを提供します。開発者は、アプリケーションの要件(例:不変性、プライバシー、パフォーマンス、コスト)に基づいて最適なDID Methodを選択する必要があります。
DID Resolverの仕組みと実装
DID Resolverは、与えられたDIDに対応するDID Documentを取得する役割を担います。これは、インターネット上のDNS(Domain Name System)がドメイン名からIPアドレスを解決するのと同様の機能ですと考えることができます。DID Resolverは、特定のDID Methodの仕様に従って、関連する分散型ネットワークからDID Documentを検索し、パースして返却します。
DID Resolutionのプロセスは、一般的に以下のステップで構成されます。
- DIDの解析: リゾルバーは入力されたDIDの
method-name
を解析し、どのDID Methodに対応するリゾルバーサービスを使用すべきかを判断します。 - DID Method固有のロジック実行: 選択されたリゾルバーサービスは、そのDID Methodの仕様に従い、基盤となる分散型データストア(例:ブロックチェーン、分散ファイルシステム、ウェブサーバー)からDID Documentの情報を取得します。
- DID Documentの構築と検証: 取得した生データからDID Documentを構築し、必要に応じて暗号学的検証(例:署名の検証)を行います。
- DID Documentの返却: 最終的に、完全なDID Documentがリゾルバーの呼び出し元に返却されます。
「Universal Resolver」は、複数のDID Methodに対応するリゾルバーサービスを集約し、単一のエンドポイントを通じて任意のDIDを解決できるフレームワークです。これにより、アプリケーション開発者は個々のDID Methodのリゾルバーを実装する手間を省き、より広範なDIDに対応することが可能になります。
DID Resolverの実装は、基盤となるネットワークとのインタラクション、データの整合性検証、キャッシュ戦略など、複数の技術的課題を伴います。多くのSDKやライブラリ(例:did-resolver
for JavaScript)が、これらの課題を抽象化し、開発者がDID Resolution機能を容易に組み込めるように提供されています。
以下は、JavaScriptのdid-resolver
ライブラリを使用したDID解決の概念的なコードスニペットです。
import { getResolver } from 'did-resolver';
import { getEthrResolver } from 'ethr-did-resolver';
import { getIonResolver } from '@decentralized-identity/ion-did-resolver';
import { getWebResolver } from 'web-did-resolver';
// 他のDID Methodのリゾルバーも同様にインポート
// 各DID Methodのリゾルバーを登録
const didResolvers = {
...getEthrResolver().didDoc, // did:ethr
...getIonResolver().didDoc, // did:ion
...getWebResolver().didDoc // did:web
// 他のDID Methodのリゾルバーを追加
};
// ユニバーサルリゾルバーインスタンスを生成
const resolver = getResolver(didResolvers);
async function resolveDid(did) {
try {
const didDocument = await resolver.resolve(did);
console.log("Resolved DID Document:", JSON.stringify(didDocument, null, 2));
return didDocument;
} catch (error) {
console.error("DID Resolution failed:", error);
return null;
}
}
// 使用例
// resolveDid("did:ethr:0x...");
// resolveDid("did:ion:EiA_qc_...");
// resolveDid("did:web:example.com");
この例では、did-resolver
という抽象化レイヤーを介して、複数の異なるDID Methodのリゾルバーを統合し、統一されたインターフェースでDID Documentを取得しています。
開発上の考慮事項
SSIソリューションを開発する際、DID MethodとDID Resolverの選択と実装にはいくつかの重要な考慮事項があります。
- DID Methodの選定: アプリケーションの要件に基づき、適切なDID Methodを選択することが不可欠です。不変性、トランザクションコスト、スケーラビリティ、プライバシー要件などを比較検討し、トレードオフを理解する必要があります。例えば、高速な書き込みと更新が必要な場合は
did:ion
やdid:ethr
が適しているかもしれませんし、シンプルな証明書の発行にはdid:web
が十分な場合もあります。 - 鍵管理戦略との連携: DIDのセキュリティは、DID Documentに含まれる公開鍵の秘密鍵の管理に大きく依存します。鍵管理システム(KMS)とのセキュアな連携を設計し、秘密鍵の生成、保存、利用、ローテーション、回復のプロセスを明確にする必要があります。
- プライバシーとセキュリティ: DID Documentに公開される情報の範囲と、それがプライバシーに与える影響を慎重に評価すべきです。また、DID Resolutionプロセスにおける中間者攻撃やデータ改ざんのリスクに対する対策も考慮する必要があります。
- DID Documentの更新と失効: DID Documentの鍵情報やサービスエンドポイントは、時間の経過とともに変更される可能性があります。これらの情報を更新するメカニズムや、DIDが不要になった場合に失効させるプロセスを設計することが、システムの健全性を保つ上で重要です。
- 標準への準拠と相互運用性: W3C DID仕様やその他の関連する標準(例:DID Comm v2)に準拠した実装を行うことで、SSIエコシステム内での相互運用性を確保できます。これにより、異なるプロバイダーやアプリケーション間でのシームレスな連携が可能になります。
まとめ
分散型識別子(DID)は、SSIエコシステムの中核を成す技術であり、個人が自身のデジタルアイデンティティを完全に制御するための基盤を提供します。DID MethodとDID Resolverは、このDIDのライフサイクル管理と情報解決を可能にする二つの不可欠な要素です。
開発者にとって、これらの技術の深い理解は、堅牢でプライバシーを尊重したSSIソリューションを構築するために不可欠です。多様なDID Methodの中からアプリケーションの要件に合致するものを選択し、DID Resolverを通じてその情報を効率的かつセキュアに取得するメカニズムを実装することが求められます。SSI技術の進化に伴い、これらの基盤技術も継続的に発展しており、今後の標準化と実装動向にも注目していく必要があるでしょう。